27.反論①:「老年は公の活動から遠ざけるから惨めだ」への反論
年をとったら、若い人がするような若さと活力でなされる活動はできないことが多いけど、肉体は弱っても精神で果たされるような活動や仕事はいくらでもありますよね。船を動かすのにマストに上ったり、甲板を駆け回ったりできなくても、船尾で舵を握りじっとしている舵取りは何もしていないということはないわけですし。若い人みたいに体力とか速さとか機敏さを使わないけど、「思慮、権威、見識」で大事業を成し遂げることができますね。キケローは「脚力や跳躍力、離れては槍、組んでは剣に頼るのではなく、思慮と理性と見識を用いる」とも言っています。
「無謀は若い盛りの、深謀は老いゆく世代の持ち前というわけだ」とくくっています。
さらに老年になると「次の世代に役に立つようにと木を植える」ことが大切でると述べています。
最後に「老齢の我が身が若い世代に嫌われると感じること」は大変情けないことと思うが、実際には「嫌われる」のではなく「喜ばれる」のだと説きます。
賢者は老人になっても稟性豊かな青年に楽しみを見出し、若者から敬い愛されるといいます。青年は徳への専心へと導いてくれる老人の教訓を喜ぶとも述べています。
老いたときに、知恵や経験がなく、思慮もなく、深謀もできない老人にはならないようにしないといけませんね。これらは自らが若い時から経験し学習し自らを高めてきた人にしか備わらない。賢者にならねばなりません。そうでないとただの「老害」な年寄りになってしまうではないか、というものです。