29.反論③:「老年はほとんどすべての快楽を奪い去るから惨めだ」への反論
キケローに言わせれば、快楽は「青年時代の悪徳の最たるもの」だそうです。それらを取り去ってもらえるのだから、年を取ることはなんて素晴らしいことだといいます。肉体の快楽は自然が人間に与える病毒で最も致命的だそうです。プラトンは快楽を「悪への餌」と呼んだそうです。
老年になると羽目を外した宴会には縁はなくても、節度ある酒席を楽しむことはできるそうですし、肉欲や諸々の欲望から解放される老年期は、研究や学問に取り組むことができ、ヒマのある老年は喜ばしいと述べています。キケローは、なにげに禁欲主義的な方なのでしょうか。
一方、大岡越前の母の話で、「女の肉欲は灰になるまで」という逸話があります。「エロ爺」という困ったお年寄りもおられます。性欲は食欲と同様に死ぬまであるのでしょうか?
老年になっても、社会欲とか名誉欲とか強い人はたくさんおられるのではないかしら、というのが私の感想です。老年になると、若い時のようにたくさん食べることはできないですが、美味しいものを少しだけ、好きな人たちと一緒に楽しみたいという欲望は絶対になくならないですね。
しかしキケローと同じように、快楽がなくなっても惨めとは思いませんし、いつまでも快楽にとらわれていることを哀れに感じますが、快楽への欲求はなくならないと思いますので、上手に人生を楽しめたら良いなと私は思います。
キケローの著作をみると、そこらあたりに「徳」という語が出てきます。この時代の人たちは「徳のある人」になることが自己実現の最高位に在していたのでしょう。私たち日本人では「品位」とか「品格」というのが近い感覚なのでしょうか。