53.ボーボワールと女性
ボーボワールというと「人は女に生まれるのではない。生きるうちに女になるのだ」という一説が有名ですね。多くの女性活動家(?)、ウーマンリブ活動家(?)、男女平等運動家(?)というのでしょうか、私よりも少し上のお姉さんたちで、時代の先端を歩いて切り開いてこられた人たちの、女性解放運動のきっかけの言葉になるのかしら。
私の生まれたころや学生の頃には男女雇用均等法もなく、私たちは4年制大学に進学すると女性は就職できない、嫁に行けない、と言われました。私の高校の時の友人の多くも、どんなにお勉強ができても、高卒か短大卒で大手の企業に就職して、そこで生涯の伴侶に見いだされ、寿退職をして夫と子供と婚家に尽くして生きてきました。これが「王道」だったような気がします。彼女たちを、私は「勝ち組」だと思っていました。
私の母たちの時代(大正~昭和初期生まれ)では、女性には参政権もありませんでした。母は、戦後になって「やっと女性にも社会進出が認められた時代」を生きた人でした。「戦後強くなったのは靴下(ストッキング)と女性」と言われたそうですが、明治から大正、世界の中世的な思想の中では、女性は苦労して生きてきたのだと思います。
一方、私は幼い時は「今度生まれ変われるとしたら男が良い」と思っていましたが、いつの間にか「今度も女の方が良い」と思うようになっています。今の時代は女性の方が生きやすいように感じているからです。
多くの先人の女性たちのおかげで、現在の女性には生きるための選択肢がたくさんあります。私も自分の興味や関心の向くままに、お母さん業をしながら大学院生をしたり、好きな研究に没頭できたり、地方の大学に単身赴任したり、大学をひょいと辞めて鍼灸師になったり、なんとまあ自由に生かせていただいています。
あくまでも私の個人的な感想ですが、ひと昔前の女性解放運動というのは、女性性を否定して、女性を男性と同一化することを目指していたように思います。でも、私は男性の価値観や競争原理の中で生きるのはしんどいと思う人です。本当の幸せは、男性は男性として男性性を大切にして、女性は女性として女性性を大切にして、様々な選択肢の中で自分の生きたい人生を自由に選択できることだと思っています。今はLGBTQ2+とかいって、さらに価値観とか生き方が広がって、私の感性を超える時代になってしまっています。この領域になると、私の貧しい想像力では推し測ることのできない領域になっています。大学生の時に学内で女装をしている男性を見て、「この人は辛いんだろうなあ、遺伝子レベルで、生まれ変わって女性になりたいと思っているのだろうな」と勝手に同情していました。彼の本当のところの気持ちはわかりませんが。
女性も男性も、そのどちらでもない人も、みんな自分なりに幸せなのが良いですね。