61.リア充な人生
この年になると、幸せな人生ってどんな人生だろうかと突然哲学的課題について考えることがあります。お金持ちになること、高い地位に登ること、たくさんの人の上に立って(わがまま放題に)命令を下せること、美しくなってみんなに愛されること、賢くなってみんなに尊敬されること、人には無いすごい才能があること、すごい仕事をして尊敬されることetc. 書いていて悲しくなった。お金は欲しいよね。お金があったら、「愛」と「寿命・命」以外のものはなんでも手に入る。人から敬われ、尊敬され、愛される人生も良いね。誰よりも強くなって権力を好き放題に使ってわがまま気ままに暮らすのもありだ。でも、この年になってくると、少なくともお金はあの世に持っていけるものではない。物より思い出、というキャッチコピーがあったけど、心が満たされることはとても大切だと思う。
私の同級生で「もっともリア充な奴」と思う男性がいる。詳細な彼の人生の歴史は知らないが、大都市の衛星都市の農家さんに生まれ(とりあえず衣食住に苦労がなく)、愛妻家で優秀な息子さんたちと孫たちがいて(子孫に心配がなく)、趣味の畑仕事はプロ級で多くの農作物を収穫している。趣味のマラソンを楽しんでいる。彼はとても穏やかな性格で、多くの同級生たちに愛されているので、彼が出るレースには毎回多くの同級生が幟や旗を持って応援に駆け付ける。奥様ともとても仲が良い。順調に年齢を重ねた好々爺となっている。彼を見ていると、リア充な人生ってこういう人生なのかなと思う。
この年になって思うのは、社会的な制約から解放されて、素の自分となった時に、どれだけ自分をプロデュースできるかが大切なんだろうということだ。○○部長でもなく、年収がいくらでもなく、素の自分に何が残っているだろうか。
いくらかの余裕のあるお金、快適に住める家、健康な身体、愛する家族、親しい友人、自由な時間とか、そんな人生がリア充な人生なのだろうな。