心と身体の養生ブログ~71.残酷すぎる

お久しぶりでございます。しばらくさぼっておりました。
「三陽院通信 #9」もとても長くお休みしておりました。それで久しぶりにつぶやいていこうと思います。

ちょっとショッキングな少し昔の本ですが、橘玲さんの「言ってはいけない 残酷すぎる真実」(2017年 新潮新書)という本について語ります。大まかな章立ては「努力は遺伝に勝てないのか」「あまりに残酷な『美貌格差』」「子育てや教育は子供の成長に関係ない」というショッキングなタイトルがついています。実も蓋もないようなタイトルです。

「人はみんな平等(であるべき)」なんていう、お花畑的な戦後レジームで育てられ、大きくなって「騙された」と思っている昭和生まれの大人たちがなんと多いことでしょう。
でも肌感覚で、なんとなくみんな分かっているのじゃないかしら。「賢い遺伝子」ってのがあって、賢い親御さんのところのお子様方は、やはり賢い。「トンビが鷹を産む」なんてことはめったと起こらない。もちろん勉強に集中できる家庭環境とか経済条件というのもありますが、親が高学歴だと子供もそこそこの大学にいっているというのが現実。

とはいえ、昔は「女子に学歴は不要だ」という親がいて、「賢い」女性でも「高卒」だったりしますが、彼女の子供たちは超一流大学に進学していたりします。まあ、これは私の友人のお話ですけどね。彼女は京大でも阪大でも現役で十分行けるくらい学力が高かったけど、親御さんの方針で高卒で就職して、結婚退職して(寿退職と昔は言った!)、専業主婦していますが、お子さんは東大に行っているから、やはり彼女の「賢い遺伝子」は受け継がれたんだな。

美人の方が生涯年収でン千万違う、とか言います。美人はいろんな節目で厚遇されることが多く、より条件のよい男性と結婚できる、とかね。美人の方が性格も良い(内面の深い所や真実はわからないけど)、美人は自分を美しく見せる術を知っているので、人から好意的に受け止められる言動をとる。美人は多くの友人がいて、多くの人に愛されて、幸せに暮らしている。
「みんなが同じであるべき」なんて思っていると、そうでない自分が不幸に思えてしまう。だってみんなが同じであるわけないものね。

どんな自分でも、自分を愛してあげられれば、それが幸せだと思うのですが。